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同人ゲーム作成サークル エーデルアインの開発日記です。 新作情報や日常のできごとなど
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メぇぇぇ~~~リぃぃぃぃクリっスマぁぁぁーーースぅ!! 
ひゃーーーはっはっはっはっはぁーーーーっ
シナリオ担当、海藤拓実です。
ヴァジュリーラFFではありません。

クリスマスです。まあ今日はイヴですが。
みなさん、いかがお過ごしですか?
家族と一緒? 恋人と燃えあがってる? 松明とワニキャップ装備で戦場駆けてる?
いろんな過ごし方があっていいと思います。
一年に一度のことです。楽しみましょう。

さて、雑記をば。
今日はもう仕事を忘れます。

ここを見てくれた人に質問。サンタクロースの存在を、ただ純粋に信じていられたのは、いったい何歳のころまででしょうか。
それぞれでしょうが、だいたい平均すれば小学校中学年ぐらいになるのかな。
今の子はもっと低年齢になるか? ませてるしね。
まあサンタクロースなんていないわけですよ。当然。
今回はそういうお話でもしてみようかと思います。

「当然」。
無論、自明、当たり前。そんな感じの言葉ですね。
つまらない言葉だと思いません?
ただ結果があるだけで、それ以外に何もない、みたいな。
まあそれでもこの言葉、僕も普通に使うんですけどね。

恋人のいないクリスマスに泣きながら、思うのです。
そのつまらない言葉に、人はどれだけすがってしまうのか。
そして同時に、人はどれだけ頼りたくないか。
どちらも簡単で、しかも難しいことです。
例えば、「愛」。俺的な今年の漢字は「想」なので、結局今回もこういう話です。
愛というものが当然あると思っているときは、人は当然それに寄りかかりますよね。
でも、いざそれがなくなってしまったとき。
自分の知らない「当然」が、「当然」になったとき。
つまり、誰も横にいないのが当たり前になったとき。
誰だって、そんなこと認めたくはないわけですよ。
愛があるときに、それに頼らないことは難しい。愛がなくなったことを認めないのは、とても簡単。
これを強く思うのは、まだ俺が幼いからなのかもしれないですけどね。
もっとも、海藤だって愛が永遠だとは思いません。
けれど、好きな人との関係が永遠だって信じることは、無駄なことでしょうか? 無益なことでしょうか?
それを欲するのは愚かなことでしょうか?
自分が取るに足らないクズみたいな人間だと知っていても、愛を信じ、欲しがることをどうしてやめられましょうか?
好きな人が言った「永遠」ってやつを、俺も同じように信じ、先に未来が「当たり前」にあると思ったことが、果たして間違いだったのか。
それは……わかりませんけど。

今、僕の手元には「謎の彼女X」という漫画の最終巻があります。
ヒロインの子は、永遠をにおわせる言葉を、最終話で口にします。
けれど、漫画は終わってるんですよね。
彼女と、その思い人との間にある永遠は、誰にも見えない。
そこに、大人って奴は諦めにも似た想像を持ってきてしまう。どうせ別れる、とか。若いから、とか。とかとかとか。
前述の漫画の中でも、これをわかってしまったキャラクターがいますけど……。
そして、多くの大人はそう思っているでしょうけど。
「違った」ってことがわかってしまった悲しさを、みんな知っていますもんね。
でも、あの頃のひたむきさというか。ある視点で見れば、無知とか無謀とか、そういう気持ち。
これに、いまだに僕は心を揺さぶられます。

歳と時を重ねれば「当然」でなくなる「当然」がそこにある。
サンタクロースを信じる心と同じです。
好きな人と永遠を生きられる「当然」を信じられるかどうかってことですね。
やっぱり、俺は幼いのだと思います。
恋が実った経験が少ない、というか。そういう経験を、中学とか、高校とか、そういう時にしていないから。
だから今、いくつも歳を取ったのに、まるで高校生みたいな、お互いを想いあうだけの関係を欲している。
しかも、非常に打たれ弱い。
未だに幸せ感じてたころを夢に見て、死にたい気持ちで朝を迎えるのがしょっちゅう。
街に出れば、どこかにいるんじゃないかなって、後姿探したりもするし。
振って後悔してるはずなんてないのに、相手の後悔を願っていたり。
今日みたいな日は、泣きたくても泣けなくて、どうしようもなくなる。

……あー、駄目ですね。
用事があって、にぎやかな街に出ちゃったもんだから。
今回の記事は毒されてます。ここまで書いたし、もったいないから載せるけど。

そろそろ締めましょう。
ただ純粋に考えて、人はどんな物語を欲するのでしょう?
ただクールに、人の思いが廃れることを「当然」とするのか。
好きな気持ちは永遠、それが「当たり前」とするのか。
いいか悪いか、信じる信じないはいいとして。
……人って、どちらの物語に触れると、心が満たされるのでしょうね?
僕の中では、答え、出てますけどね。
たぶんきっと、人は一人でいては、寂しくて仕方がないのが「当然」ですから。
なんて思いながら、恥ずかしげもなく愛という言葉を連呼する、今日この頃でした。



最後に一言。
みなさま、よい聖夜を。
最後ぐらい、すっきりとね。
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すっかり寒くなってきましたね。
シナリオ担当、海藤拓実です。
でも去年よりもあったかい気がするなあ。


何となくここが海藤の私物みたいになるのが嫌で、しばらく更新をしないでいたのですが……。
まあ、そりゃこうなるよなw
やはり特筆するようなお知らせもないですが、放置よりは雑記でも更新しなきゃね。

さて、雑記をば。
今回は、「転んでもただでは起きない」というお話。

つい昨日のことです。
食材の買い出しから帰り、さあ、食料を冷蔵庫に入れよう、というところ。
6個入り卵パックを、派手に落っことしました。
中身を外に零さない最低限度の強度しか持たない奴らの殻が、落下に耐えられるわけもなく。
6個のうち、無事だったのは1個のみでした。
久しぶりに、変な声が出ました。

大分前にも言ったけど、海藤は貧乏です。
200円に満たないとはいえ、食べ物です。無駄にするなんてもってのほかです。
割れた5個のうち、ひとつは見るも無残な状態になって床にぶちまけられ、リカバリーは不可能でした。
が。
あとの4個は、殻が割れて中身が出てはいるものの、まだいけそう。
なので、コートも脱がぬまま、海藤の戦い(?)が始まりました。
で、終わりました。過程はただ一人の男が笑いながら卵をいじっていただけだったので割愛。
結果として、晩御飯のお好み焼きの生地と、翌日(つまり今日)の、朝食のおかずになる玉子焼きが完成。
はい。おいしかったです。

とまあ、これはただの貧乏人の奮闘記ってだけなのですが。
駄目になりそうなものをどうにかしよう、っていう考えは、海藤が自分の中で、唯一と言っていいほど、明確に長所だと思っている部分です。美点と言ってもいい。
つまり、自分で自分の気に入っているところです。

こういうのは、幸せだな、と思うのです。
すごい金持ちだったり、食に無関心だったり……。
いろいろな理由があるでしょうが、割れた卵をどうにかしようとする人は、たぶん今は少数派でしょう。
パックの中で白身を零しかけている奴を見て「どうにかしよう」と思う人って、どれぐらいいるのでしょう。
大抵の人って、「やっちまった」と思いながら捨てちゃうんじゃないでしょうか?
損だと思うのですよ、色んな意味で、そういうのは。
なんでわからないんだ、あの卵たちの悲哀を。あの零れた白身が涙にしか見えn(ry
すいません調子乗りました。

ともかく。
割れた卵と戯れているあの時間は、とりあえず自分は本気で、心から楽しいと思っていたわけです。
それを面倒だとか醜いとか切ないとか、そんな言葉をつけて嘲笑する人間にはなりたくないのです。
創作も同じだと思います。
人にとって取り留めもないこと、または取るに足らないこと、そういうものを、いかに飾りつけるか、みたいなことだと思うのです。
その飾り付けられたありふれたものを、人がどう見るかは、わからないですけどね。
ただ、最初から煌びやかに光っているものをいじったってつまらないですよ。
例えば、人が死ぬ実話とかね。そういうのを文章にしただけでは、僕はそれを創作と呼べるとは思いません。
するとしても、それはきちんと物語として、着飾らせてやらなきゃ。
何にしても、基本的には、実体験をいくつも混ぜこんで、搾って、その結果零れた一滴みたいなものを寄せ集めて、初めて物を創った、と言えるのではないでしょうか。
ものすごい失敗も、悲しい体験も、忘れたくなるような過去も。言ってしまえば割れた卵みたいなものです。
どのような形にせよ、そういうものを無駄にはしたくはないな、と思う今日この頃でした。


最後に一言。 
割れた卵も命のようなもの、無駄には決してしませんが、町でいちゃつくカップルは粉微塵に爆ぜろと思います。
頼むからやめろ。泣きながら生卵ぶつけんぞ。
秋です。久々の更新になります。
シナリオ担当、海藤拓実です。
咳と胃痛に苛まれております。みなさん、お身体は大切に。


まず、ご挨拶を。
だいぶ遅れましたが、コミティアでうちのサークルの所に立ち寄ってくれた方、ありがとうございました。
ゲームでも、ああいう場でも至らないところの多いサークルですが、実際にゲームを手に取ってくれる方がいる、という事実を、とてもありがたく思います。
……だってねえ、売れたとこ見たことなかったんだもの。あの日まで。
ついでに言うと、妙に襟足つんつんしてた白メガネが俺でした。
もしあの場で俺を見かけた人がいたなら、ここのメンバー紹介を読んでいないことを切に願います。

何はともあれ、励みになります。
また顔を見せようと思います。
今後とも、エーデルアインをよろしくお願いします。

……もっと早く言えよ、こういう大切なことは。
何してんのさ俺。


さて、雑記をば。
海藤、メダロット8やってます。
バグがかなりあるのが残念ですが、なかなか楽しめています。

海藤は小学生の頃、みんながポケモンをやっている頃に、全力でメダロットをやってました。
ボ○ボン派です。全力で。ロックマンxとか大好きでした。

基本クワガタ派なのですが、メダ2はカブトとクワガタ両方買って、クワガタの方にカブトメダルを送り、通信を利用して冒頭のコウジ戦でウォーバニットを一式揃え、ロクショウとウォーバニットを純正で育てに育ててゴッドエンペラー突破、とかやってました。
三体目でメダフォース制御さえしちゃえばやれないことは無かった……はず。

そして今作、晴れてウォーバニット復刻。
対戦で純正で使ってたら、それは俺かもしれません。
もしお会いしたらよろしくです。……回線ちょっと弱いみたいだけど。


本題。メダロット2と言えば、恋愛イベントですよね。よね?
シナリオ中で選ぶ選択肢によって、明るい幼馴染のアリカエンドか、お淑やかなお嬢様カリンちゃんエンドか、もしくはどっちもどっちのノーマルエンドかが別れるという。
海藤はカリンちゃん大好きでした。3週ぐらいカリンちゃんエンドやった気がします。
……ゲームボーイでこういうシステムって、わりと珍しかったような。
3で撤廃されちゃったのが残念だったなあ。

こういう二択というのは、シンプルながら好きです。
タイトルにあるものもそうですね。
他にも、綾波派かアスカ派か。ロックマンかフォルテか。エックスかゼロか。
ペプシかコカか。マックかモスか。きのこかたけのこか。
まあ、いろいろありますが、二択というのは基本的に白黒つくというか、どちらを選ぶかはっきりするものです。

ただ単純に、片方を選ぶ。いいか悪いか、ではなく。
悩みはするかもしれませんが、割と簡単に答えが出る。
まあ、全部が全部はっきりする必要はないかもしれませんが。
でも、ぐだぐだ悩むぐらいなら、しがらみをいっそ自分の中で二択にしてしまって、片方を選ぶことも、時にはアリなんじゃないかな、と思うのです。
選択なんて、どっちを選んだにしろ、後悔することにはなるものですしね。
難しいことではありますが、そうやって物事をシンプルに済ませることも、時には必要なんじゃないかな、と思う今日この頃でした。


最後に一言。……いや二言三言。
なんだかんだ言っておきながら、海藤は過去の物事を割り切れないまま、まだ沈んだままらしいです。
まあ、自覚はしてるけど。
今日、元カノとそっくりな人(本人……か?)と、図書館前ですれ違いました。
挨拶もなく通り過ぎました。
家に帰ってから吐きました。自分でもびっくりです。
……シンプルにすっぱりと過去を断ち切るような方法、誰か教えてくれよ……。
腹の虫の居所が悪い。
シナリオ担当、海藤拓実です。
ああ、イライラする。なんでだ、ああイライラする。


なんか連絡することがあった気がするんだけど……。
夏コミダメだったこと、報告っているのかな?
まあ、とにかく落選しました。
はい、報告終了。


さて、雑記をば。
雑記書くなら更新しなきゃいいのに、と思う方も多いだろうけど……。
あんまり更新の期間が空いちゃうのもねえ……。
というわけで、いつものようにぐだぐだと。

失恋の傷がかさぶたになり、それを無意識のうちにはがしてしまって痛い思いをしている、そんな毎日の海藤です。元気です(誰も気にしてないけど)。
さて、ちょい身の回りに色恋関係の話が多いような日々(体感)。
なので、また恋についての雑記です。
恋とひとくくりに言っても、形はいろいろあります。
けれど、きっと多くの人に共感してもらえるであろうことが、ひとつ。
大人になると、恋ってつまらなくなりますよね。

例えば、人を好きになる気持ちの強さだったり。
その維持の仕方や、その理由だったり。
そういうものって、年とともに劣化していくものだと思います。
具体的に言うと、収入とか、安定性とかが、強すぎるぐらい恋と結びついてくるように思うのです。
つまり、自分にとっての都合のよさ。有利、不利。プラスとマイナス。
女の子は早くからわかってる気がしますけれどね、そういうとこ。お金持ってる優しいおっさんになびく女子中学生、女子高生、いるわけだし。
男は総じてガキっぽいところがありますから、大学生とか、それ以上の年にならないと、これを認められないけれど。
でもまあ、とにかく、どこかのラインを超えてしまえば、そのつまらなさを多くの人が自覚するわけです。
どれだけの人が、僕と同じようにつまらないと感じているかはわからないですけどね。
お金があれば男として有利、そんなシンプルさが好きな人もいるでしょう。

とにかく。
「ただしイケメンに限る」という言葉がありますけど、そうじゃないと思うのです。
時代遅れですよ、これからは……「ただし、金持ちに限る」。
……流行らないな、これは。
こほん。
つまり、です。多くの女性にとって、顔や性格は二の次。
一番は、収入。絶対に。
そりゃあ本音は言わないと思いますよ? 建前として、顔や性格を挙げるわけです。
ひょっとするとツッコミがあるかもしれません。「建前として顔ww」っていう。
でも大真面目です。「お金持ちがいい」っていう本音を、「イケメンが好き」っていう言葉で隠す女の人は少なくないと思います。
そして、いざ結婚とかしたら、旦那さんはブサイクだったりして。
「やっぱり、中身よね」なんて言葉でをオチをつけるわけですよ。
もちろん、旦那さんとなる男性は高収入。
この女性は、何も知らぬ旦那とまわりの反応を見ながら、内心ほくそ笑んでいることでしょう。
……こんなこと、絶対にないと、どうして言い切れますかね。
ブサイクで困っている人にとってはチャンスかもしれない。
お金を持っている人には、何の障害にもならない事実かもしれない。
けれど、僕自身、そんなの全部ひっくるめて、納得出来ないのです。

「好き」って言葉の比重が、とても偏ってるように思うのです。
上手く言えないけれど、好きと思い始める気持ちって、とても軽視されがちじゃないですか?
十代の頃の恋愛って、その気持ちがとても大切ですよね。それがすべてと言ってもいい。そのために一喜一憂が出来る。
確かに、まだ人間として若いから、熱しやすくて冷めやすいものかもしれない。
でも、若気の至り、なんて片付けられるような、そんな気持ちとは、僕には思えない。
そんな中から、とても強く、長く人を想い続けられることがあると、僕は知っているからです。
一方で、大人って気持ちではなくて、好きと思える部分と要素ばかりで、人は人を好きになりすぎな気がするんです。
そんな強い思いを、忘れたり、青臭いからと切り捨てたり。
僕は、間違ってると思うのです。
この人だから好き。
その言葉を、どれだけの人が口に出来るでしょう。
顔や性格、嗜好、仕事が、ほとんど同じ男性が二人、いたとします。
この二人が、同じ女の人に「好きだ」と言ったとします。
片方は、収入が高いけど、気持ちは嘘。もう片方は収入が低いですが、本当にその女性が好きです。
後者を選ぶ人なんて、きっと誰もいないと言っていいほど、ごくわずかでしょう。
金も気持ちも、どちらも永遠なんて、ありえない。確かでもない。
それでも、人は、人の気持ちを蔑ろにしすぎ。
そう思う、ちょっと苦しい日の続く今日この頃でした。


さて、最後に一言。というか、今回のオチ。
身内の知り合い(つまり他人)の話です。
「同じ会社の男の人(バツイチ子持ち)好きになっちゃった……」
「どうしよう、デートとか、私から誘っていいのかな?」
「誘って、行ったとして、キスとかまだ早いかな? 手は繋いでいいのかな?」
「あの人は、私のこと、どう思ってるんだろう……はわわ、夜も眠れないよぅ!」
三十四歳、独身女性。


………………。
………………あれっ?

厄除けに行きました。
シナリオ担当、本厄の海藤拓実です。
もう少し早く気付こうぜ、俺。厄年は数え年で判断するってことにさ。

まず、ゲームについて。
たまには真面目にね。真面目の度合いが少なすぎるのは重々承知。
このブログを更新するほんの五分前ほど。一日分ほどシナリオを書き上げました。
ストーリーの流れとしては、いろいろと話が動き出す一歩前ぐらいの位置でしょうか。
とにかく、これからいろんなふうに人や関係が動いていくぞってところ。
重要だけど、個人的には書いていてあまり楽しいところではなかったりします。
分岐点というか、分水嶺というか、そういう場所。
ここがある程度しっかりしつつ、ある程度話が動きやすいように柔軟性に富んでいないと、物語の良し悪しに響くと思います。
故に、割とストレスを感じます。
分岐した先は、もう少し気楽に書けるんだけどなあ……。
ともかく、そんな位置まで書きました、というご報告。主にスタッフに。
きちんとやってますよ。やる時には。たとえちょっとずつでも。
さて、これからどうなるかなあ。
わりと書きたいシナリオは浮かんできてるけど……。
どうなるかなあ。(2回目)


さて、雑記をば。
前述の通り、厄除けに行ってきた海藤です。
厄除けしてもらって、蕎麦食って、団子食って、カルメ焼き買って帰って来ました。
それまで散々だったのですが、次の日からすでに好転の兆しが。
ちょっとした出会いがあったり、嫌な人が遠ざかっていくような感じがしたり。
……おい、マジで効果あるんかよ。あんまり縁起とか気にしないんだけど……。

まあ、効果のほどは置いておきましょう。
ただ、僕が思うのは、そういうのは「気の持ちよう」だと思うのです。
どうしようもなく不幸とか、環境がどうしようもないとか。
つらいのを自分も他人でもない存在のせいにするぐらいに疲弊、消耗している時は、何をやってもうまくいきません。
だって、そういう時は、現状を好転させるような気力すらないのですから。
気力を湧き起こすような気持ちにもならないのですから。
例えるなら、勝てる勝負に負けると思って挑むようなものです。
大抵の場合、負けてまた落ち込んで、次の負けを呼び込むでしょう。
別に勝ち負けが物事のすべてではないですけどね?
で、どうしようもなくなるぐらいなら、不確かな存在を手助けにして起き上がったって、別にいいと思うわけです。
例えばそれは物語かもしれないし、音楽かもしれないし、詩かもしれないし、ゲン担ぎかもしれない。
何にせよ、立ち直ってしまえばいいのです。
逆に言えば、立ち直れるなら何だっていいんです。たぶんね。
……まあ、それに依存したり、散財したりするのは、いただけませんけど。
ほどほどに立ち直ったら、また自分の脚で立たなきゃいけないわけで。
不確かなもので立ち上がったとしたって、それは立ち上がったつもりになっているだけなわけで。
あくまでそれは「不確かなもの」ですからね。寄りかかってたらコケるだけでしょうし。
なんて思いつつ、自分を支えてくれる確かなものがあればいいなあ、なんて思う今日この頃でした。

最後に一言。
今作っているゲームには「不確かなもの」と「確かなもの」の2つを描けたらいいな、なんて思います。
……さて。書き手である僕は、↑のようなことを考えているわけですが。
どうなるかなあ。(3回目)
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