同人ゲーム作成サークル エーデルアインの開発日記です。
新作情報や日常のできごとなど
おはようこんにちわこんばんわ、お久しぶり。はじめましての人ははじめまして。
背景担当らしいの~ぶるです。
ちなみに今回はシナリオ設定のの初期草案も担当させてもらいました。なんというか書きにくい草案でシナリオ担当には悪いことをしたのかもしれない。
ちなみに私が前回ブログを書いたのは四月、そのときは新年度がどうとか言っていたが、今は新年である。ああ、どうしてこんなことに。どうでもいいか。
……さりとて、どうでもいいか、ですまないことも。
三作目の進行状況(背景)である。
時間が経つのは早いもので、なかなか遅遅として、といった感じである。
こればっかりは遮二無二頑張りましょう、ってことなのかな。
しかして、やるからには腰を据えて時点の百%を出したいと思うのは人情であるが、贅沢か。むむむ(なにがむむむだ!
ここから余談、たぶんここまでも余談。
前回のブログ更新を読んで、私の頭を擡げた事がある
「特長がないのが特徴」
さて、ことフィクションにおいてこれがホントに問題なのか、である。少し考察しよう。
「特長がないのが特徴」
この言葉は前回のブログのとおり機動戦士ガンダム0083に登場するロボット、MS(モビルスーツ)ジム・カスタムをさす言葉である。
作中ではたしかに突飛な機体性能を誇ることのないジム・カスタム。
しかし、本機の人気はガンダムに登場するジム系列の機体の中でも特出したものがあるといえよう。機体性能に特出したものがないのにである。何故か。
それはやっぱり本機が性能とは別の視点でおいて「特長がないのが特徴」とはかけ離れている機体だから、といえるだろう。
たとえばデザイン。ガンダムの時系列では大雑把にかけば、初代→0083→Ζ、の順に時が流れている。(他にも外伝はたくさんあるがここでは割愛)
そこで登場するジムも、ジム→ジム・カスタム→ジムⅡ、と変遷する。
しかし、デザインは変遷しない。
映像作品としての0083、ひいてはMSジム・カスタムは実際の時間では後だしな為である。初代、Ζに登場するジムに比べジム・カスタムは相当洗練されたデザインといえる。一見して系譜の機体に見えないといってもいい。色も全く別物である。
これだけでも十分な特長であり特徴だ。
他にもジム・カスタムは、他にジムよりもやられメカというより主人公メカの脇を固める機体として、作中活躍の度合いが強い、というのも特長としてあげられるだろう。
映像本編に登場しない設定上の機体スペックなどを上げればさらに特長は増える。
作中機体スペックとして特徴がなくとも、他の視点で言えば特長は山ほどある。私はそれがジム・カスタムという機体だと思っている。
ジム・カスタムから本題に話を戻そう。
「特長がないのが特徴」がフィクションにおいてなされることがあるのか、ということである。
特長がないのが特徴。
他のフィクションでこの言葉を使うときは、言い換えてしまえば王道。さらに言い換えてしまえばありきたり、というキャラクターに使われることが多いだろう。
しかし問題は、それが問題あることなのか、ということである。
確かに、そういうキャラクターは個としての特長は薄い。
しかし、得てして薄い個性は周りがカバーするもの。
たとえば、周りがあくの強いキャラクター過ぎて無個性が個性になったり。
たとえば、極めて王道な性格なのに、そのキャラのいる状況があまりにも性格と乖離している場合だったり。
キャラとキャラの絡み。キャラとシナリオの絡み。こういったものが単体では薄いキャラを濃くすることの出来るものだと私は考えます。
だとしたら「特長がないことが特徴」というのは特に問題のないものなのではないか。
むしろ、ありきたりだからこそぶれの少ない中心としての役目を果たせるのではないか、などと私は思ってしまうのです。
仮に「特長がないのが特徴」という言葉が悪い意味で当てはまることがあるとしたら、それはきっとそのキャラ単体だけでなく、他のキャラやシナリオも含めてその言葉に当てはまってしまう場合くらいなものだとおもう。
以上。考察終了。
・・・・・・言葉にしてみるとすごく当たり前なことしか書いていないな。むむむ・・・
まあいいや。
当サークル一作目「Pastel Pallet」の知春はそういう意味ではばっちり王道ヒロインである。
無論、褒め言葉だ。
もし、なんかの折に再度「Pastel Pallet」を公開できることがあればぜひ手にとってほしい。
・・・・・・あれ、なんか宣伝になってしまった? ではでは長くなったのでこれくらいで、お疲れ様でした ノシ
追記
うちのサークルのシナリオ担当はキャラクター>>>>>ストーリーの優先順位を持っているみたいだけど、シナリオに詰まってるならその関係性を逆にしてみるのもいいんじゃないかな。
状況があってキャラがどう行動するか。ってな感じに。
それぞれの相関関係あってのフィクションだとも私は感じるよ。
ーーでも実際のところ、キャラとストーリーはどっちのほうが大事なのだろうか。今度ゆっくり考えてみるのもいいかもしれない。時間があれば
背景担当らしいの~ぶるです。
ちなみに今回はシナリオ設定のの初期草案も担当させてもらいました。なんというか書きにくい草案でシナリオ担当には悪いことをしたのかもしれない。
ちなみに私が前回ブログを書いたのは四月、そのときは新年度がどうとか言っていたが、今は新年である。ああ、どうしてこんなことに。どうでもいいか。
……さりとて、どうでもいいか、ですまないことも。
三作目の進行状況(背景)である。
時間が経つのは早いもので、なかなか遅遅として、といった感じである。
こればっかりは遮二無二頑張りましょう、ってことなのかな。
しかして、やるからには腰を据えて時点の百%を出したいと思うのは人情であるが、贅沢か。むむむ(なにがむむむだ!
ここから余談、たぶんここまでも余談。
前回のブログ更新を読んで、私の頭を擡げた事がある
「特長がないのが特徴」
さて、ことフィクションにおいてこれがホントに問題なのか、である。少し考察しよう。
「特長がないのが特徴」
この言葉は前回のブログのとおり機動戦士ガンダム0083に登場するロボット、MS(モビルスーツ)ジム・カスタムをさす言葉である。
作中ではたしかに突飛な機体性能を誇ることのないジム・カスタム。
しかし、本機の人気はガンダムに登場するジム系列の機体の中でも特出したものがあるといえよう。機体性能に特出したものがないのにである。何故か。
それはやっぱり本機が性能とは別の視点でおいて「特長がないのが特徴」とはかけ離れている機体だから、といえるだろう。
たとえばデザイン。ガンダムの時系列では大雑把にかけば、初代→0083→Ζ、の順に時が流れている。(他にも外伝はたくさんあるがここでは割愛)
そこで登場するジムも、ジム→ジム・カスタム→ジムⅡ、と変遷する。
しかし、デザインは変遷しない。
映像作品としての0083、ひいてはMSジム・カスタムは実際の時間では後だしな為である。初代、Ζに登場するジムに比べジム・カスタムは相当洗練されたデザインといえる。一見して系譜の機体に見えないといってもいい。色も全く別物である。
これだけでも十分な特長であり特徴だ。
他にもジム・カスタムは、他にジムよりもやられメカというより主人公メカの脇を固める機体として、作中活躍の度合いが強い、というのも特長としてあげられるだろう。
映像本編に登場しない設定上の機体スペックなどを上げればさらに特長は増える。
作中機体スペックとして特徴がなくとも、他の視点で言えば特長は山ほどある。私はそれがジム・カスタムという機体だと思っている。
ジム・カスタムから本題に話を戻そう。
「特長がないのが特徴」がフィクションにおいてなされることがあるのか、ということである。
特長がないのが特徴。
他のフィクションでこの言葉を使うときは、言い換えてしまえば王道。さらに言い換えてしまえばありきたり、というキャラクターに使われることが多いだろう。
しかし問題は、それが問題あることなのか、ということである。
確かに、そういうキャラクターは個としての特長は薄い。
しかし、得てして薄い個性は周りがカバーするもの。
たとえば、周りがあくの強いキャラクター過ぎて無個性が個性になったり。
たとえば、極めて王道な性格なのに、そのキャラのいる状況があまりにも性格と乖離している場合だったり。
キャラとキャラの絡み。キャラとシナリオの絡み。こういったものが単体では薄いキャラを濃くすることの出来るものだと私は考えます。
だとしたら「特長がないことが特徴」というのは特に問題のないものなのではないか。
むしろ、ありきたりだからこそぶれの少ない中心としての役目を果たせるのではないか、などと私は思ってしまうのです。
仮に「特長がないのが特徴」という言葉が悪い意味で当てはまることがあるとしたら、それはきっとそのキャラ単体だけでなく、他のキャラやシナリオも含めてその言葉に当てはまってしまう場合くらいなものだとおもう。
以上。考察終了。
・・・・・・言葉にしてみるとすごく当たり前なことしか書いていないな。むむむ・・・
まあいいや。
当サークル一作目「Pastel Pallet」の知春はそういう意味ではばっちり王道ヒロインである。
無論、褒め言葉だ。
もし、なんかの折に再度「Pastel Pallet」を公開できることがあればぜひ手にとってほしい。
・・・・・・あれ、なんか宣伝になってしまった? ではでは長くなったのでこれくらいで、お疲れ様でした ノシ
追記
うちのサークルのシナリオ担当はキャラクター>>>>>ストーリーの優先順位を持っているみたいだけど、シナリオに詰まってるならその関係性を逆にしてみるのもいいんじゃないかな。
状況があってキャラがどう行動するか。ってな感じに。
それぞれの相関関係あってのフィクションだとも私は感じるよ。
ーーでも実際のところ、キャラとストーリーはどっちのほうが大事なのだろうか。今度ゆっくり考えてみるのもいいかもしれない。時間があれば
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